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人物

浅野翔吾の父は元球児で鬼コーチ!小学校から熱いサポートでファン涙





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規格外のアーチストとして、2022年甲子園大会でNo.1スラッガーとして名を知らしめた浅野翔吾(17)さん。

浅野翔吾さんは、地元の公立高校である高松商業に入学しています。

名門私立高校からの誘いがあったなか、地元の高松商業に決めたのにはお父さんの助言があったとか

そこで今回の記事は、

  • 浅野翔吾の父の顔画像と経歴
  • 浅野翔吾と父のエピソード
  • 浅野翔吾の家族構成

以上を徹底解説していきます。

https://www.gakiranger.jp/asanosyougo_chuugaku/




浅野翔吾の父の顔画像と経歴

浅野翔吾の父(屋島シーホークスHPより)

浅野翔吾選手のお父さんは、浅野幹司さんという方です。

現在で53歳ということから、1969年(昭和44年)生まれだと思われます。

徳島県のご出身で、徳島県の強豪校である、徳島商業高校に進学されたそうです。

浅野翔吾の父は徳島商業高校出身

所在地徳島市城東町1丁目4番1号
甲子園出場回数42回(夏23回、春19回)
主なプロ野球選手板東英二、川上憲伸、杉本裕太郎

有名な選手を多数輩出している強豪校ですね。

幹司さんが甲子園に出場されたかどうかはわかりませんが、53歳という年齢から逆算すると、1984年・1985年の春夏出場の際に、出場している可能性があります。

真相はわかりませんが、強豪校ということで野球の実力も素晴らしいものがあったのでしょう。

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浅野翔吾と父の熱いエピソード

浅野翔吾

小学3年生のころに屋島シーホークスに入った浅野翔吾さん。

野球を始めたきっかけは、お父さんとのキャッチボールだったそうです!

元高校球児のお父さんですから、息子とのキャッチボールは嬉しかったでしょう。

息子の浅野翔吾には厳しい鬼監督だった?!

浅野翔吾さんが6年生の時に、屋島シーホークスの監督を務めていた父・幹司さん。

当時から浅野翔吾さんへの指導には厳しかったのだそう。

お父さんは徳島商の元球児、翔吾の6年時にはチームの監督を務めていました。
人当たりのいい方ですが、翔吾の指導には厳しかった。
練習開始時刻にグラウンドに着くと、お父さんに叱られた後なのか、泣きながら練習している翔吾の姿を何度か見たことがある。

引用元:日刊ゲンダイ

野球を始めた頃から、浅野翔吾さんの頼れるコーチだったんですね!

普段は温厚な方だったといいますが、浅野翔吾さんの指導には鬼だったとのこと。

きっと、息子の将来を考えた愛情ゆえの指導だったのでしょう。

(2015年9月の屋島シーホークスのブログより)

浅野監督は、ひとり一人に声をかけ背番号を手渡した

とのことから、浅野翔吾さんの父はとても優しい人柄であり選手想いの監督だったことが分かります。

困った時はお父さんにアドバイス

浅野翔吾の父

浅野翔吾さんは、調子が悪い時には幹司さんにアドバイスを求めるそう。

元高校球児で強豪校出身の幹司さんですから、頼りになる存在なのでしょう。

調子が悪い時に一番、頼りになる存在です。修正する時に一番最初に聞くのがお父さん。
自分で(修正)する時もありますが、それでも無理な時はお父さんに聞いて動画を見せて…。お父さんが今まで一番、近くで練習とか見てくれているので」。

引用元:スポニチ

今まで1番近くで支えてくれており、浅野翔吾さんにとってお父さんは「最大の理解者」なのでしょうね。

浅野翔吾のフォームにはお父さんのこだわりあり!

2022年甲子園大会では3本、高校通算67本のホームランを放っている浅野翔吾さん。

そのバッティングフォームの原点となったのは、お父さんの指導によるものだそうです。

「今とは全然違いますが、最初に教えたのは私の好きな型でした。原さんです」。巨人原辰徳監督だ。
東海大相模、東海大を経て、巨人の4番を張った打撃フォーム、幹司さんの理想型だった。
「まずトップの位置を決める」と左肩の上にあごが来る構えをジェスチャー付きで説明。
「トップからミートまで距離がないと球は飛ばんよ、と教えましたけど、飛ばす能力は教えられるもんじゃないんで、持っとったんかもしれませんね」。

引用元:日刊スポーツ

生まれもった才能はあったかもしれませんが、世代No.1スラッガーに成長した浅野翔吾さんを支えたお父さんの指導も大きかったのでしょう。

高松商業に進学した理由は父の”ある言葉”

中学生の時からアーチストとしての才能を開花させていた浅野翔吾さん、当然中学3年生の頃には強豪私立高校からお誘いがあったそうです。

強豪私立からのお誘いに舞い上がっていた時、お父さんから言葉をかけられました。

「県外の高校に行ったら、お世話になった人が直接見に来られなくなるぞ。
レグザムスタジアム(香川県営野球場)なら土日に来やすいし、応援してもらえる場所でやったほうがいいんじゃないか?」

お父さんから言葉をかけられ、地元の人への恩返しのためにも、高松商業への進学を決めたのでしょう。

というのも、中学時代に他県へ遠征するために、地元の方々が遠征費を寄付してくれたり、応援に来てくれたりした経験があったからなのです。

高松商業のために、今でも地元の方から多くの寄付があるそう。

地元を愛し、愛されながらプレーした浅野翔吾さんの決断にも、お父さんの支えがあったんですね!

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浅野翔吾の家族構成

このように熱い父親を持つ浅野翔吾さんなので、ご家族も温かいことでしょう。

野球生活を支える、献身的なお母さんもいらっしゃいました。

浅野翔吾の母

浅野翔吾さんのお母様は、浅野美枝さんという方です。

地元である高松商業に進学した浅野翔吾さんを、食事面でサポートしていました。

足をつりにくくなるように塩を変えるなど、料理に使用する材料の細部にまでこだわる徹底ぶりで、体づくりを支えてくれていた。

食事を「塩分」から考えるとは、ものすごい徹底ぶりですね!

体格から見ても筋肉量が多いことがわかりますから、脚の攣りやすさは浅野翔吾さんにとっても課題だったのかもしれません。

また、その筋肉量アップに一役買ったのも母・美枝さんの食事です。

ケガ防止のために、冬の間92kg→85kgの減量に成功したそうで、特にすごいのは筋肉量を落とさずというところです。

これができたのも母・美枝さんのサポートのおかげでしょうね!

父・幹司さんと母・美枝さんという家族に支えられ、技術面から身体面、精神面まで鍛えあげられることで、甲子園でも夏の主役に名乗り上げることができたのでしょう!

パグくん

家族の絆が素晴らしいな!

浅野翔吾の兄弟

浅野翔吾さんはプライベートの情報が少なく、兄弟がいるかの情報はありませんでした。

ひとりっ子だからこそできる、ご両親の完璧なバックアップだったのかもしれませんね。

あるいは、インタビューの受け答えや立ち振る舞いがすごくしっかりしているので、弟や妹がいるのかなとも想像できます。

もし浅野翔吾さんがお兄さんなら、頼りがいのあるお兄さんに間違いありません。

浅野翔吾さんも、すごく弟や妹想いのお兄さんになっていることでしょう。

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まとめ|浅野翔吾の父は元球児で鬼コーチ!小学校から熱いサポートでファン涙

  • 浅野翔吾の父親は徳島商業高校出身で元球児
  • 浅野翔吾の父親は小学校からのコーチで鬼指導だった
  • 浅野翔吾の高校進学の決め手は父親の助言があった

今回は浅野翔吾さんの父親やご家族についてまとめました。

この夏の主役の背景には、父と母の懸命なサポートと、固い絆で結ばれた信頼関係があったんですね!

今後も浅野翔吾さんの活躍が楽しみです!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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