スペインのレアル・ソシエダに在籍する日本代表の久保建英(たけふさ)さん。
天才サッカー少年として話題になり、幼い頃からスペインでプレーしていた久保建英さんはどんな高校に通ってどんな高校生活を送っていたのか気になりますよね!
そこでこの記事では、
以上を徹底解説していきます!
久保建英の高校はどこ?
久保建英さんは子供の頃、スペインのサッカー名門クラブFCバルセロナにあこがれ、
小学4年生から母と弟とともにスペインにわたり現地の学校で学んでいます。

しかし、FIFAが定める18歳未満の海外選手獲得を規制するルールに違反してしまい、試合に出られなくなったため中学2年生で帰国。
中学と高校は日本の学校を卒業しています。
久保建英は全日制と通信制の2つの高校で学んだ
久保建英さんは最初、全日制の高校に入学します。
久保建英さんが入学した高校は、私立和光高等学校(偏差値51)。

和光高校は東京都町田市にある学校で、制服のない自由な校風です。
有名人も多く輩出していて、卒業生には
- 佐藤琢磨(レーシングドライバー)
- 小山田圭吾(ミュージシャン)
- 柄本佑(俳優)
- 渡辺裕太(俳優)
- ハマ・オカモト(ミュージシャン)
- 福地桃子(俳優)
などがいます。
和光高校に入学した久保建英さんでしたがFC東京のトップチームに登録され、よりサッカーに打ち込むために、
勉強する時間に融通のきく通信制の第一学院高等学校に転校します。
第一学院高校は茨城県高萩市と兵庫県養父市に本校がある、全国に54のキャンパスを持つ通信制高校。

この学校にはプロサッカー選手の先輩も多く学んでいて、
- 香川真司(シント=トロイデンVV)
- 柿谷曜一朗(名古屋グランパス)
- 酒井宏樹(浦和レッズ)
- 原口元気(FCウニオン・ベルリン)
なども卒業しています。
久保建英さんはこうした先輩たちのアドバイスを受けて、学びながらサッカーに打ち込める通信制高校を選んだのかもしれません。
久保建英の高校時代

幼少期から天才サッカー少年として注目されて育った久保建英さんは高校時代、クラスメートとどんな関係でどのような高校生活を送っていたのでしょうか?
久保建英さんの高校生活のエピソードについて調べてみました。
高校生Jリーガーの苦悩
久保建英さんは和光高校時代、学業とサッカーを両立するのにとても苦労していたようです。
所属クラブの練習や試合、海外遠征などで学校に登校できない日が多くあったからです。
当時、久保建英さんが学校とサッカーの両立で苦悩している様子が掲載された記事がありました。
久保は昨春に都内の全日制高校に入学している。昨シーズンは5月にU -20(韓国)、10月にはU -17(インド)と2つのワールドカップに年代別の日本代表として出場し、さらには海外遠征などもあった日程を考慮して、出席日数が制約されることに理解のある高校を選んだ。
実際、大会や遠征で授業を欠席するたびに、学校の教諭やクラスメイトたちの協力を得て、勉強の遅れをカバーしてきた。久保本人が希望した両立を目指して必死に頑張ってきたが、子どもの頃からの憧れだったプロとなると、次元がまったく異なる問題が頭をもたげてきた。
引用元:Yahoo!ニュースオリジナル THE PAGE
久保建英さんは授業についていくために、先生やクラスメイトの協力をもらいながら両立を試みました。
和光高校の仲間たちも久保建英さんと一緒に学校生活を続けたかった様子が伺えますね。
しかし、久保建英さんは高校1年生の11月にFC東京とプロ契約を結んだことで、全日制の高校から通信制の高校に転校することを決心したのです。
制服女子に憧れていた久保建英
第一学院高校に転校した理由の裏に、久保建英さんが女子の制服姿が好きだったからなのではといううわさがあります。
久保建英さんは中学3年生だった15歳の頃、FC東京U -18の先輩との会話の中で
「日本の制服姿の女の子を見るのが楽しみだったんですけど、行く学校が制服じゃないんですよ。学校替えたい」
という発言が映像に残っているのです。
和光高校は制服がない学校ですが、第一学院高校は着用義務はないものの制服のある学校です。

通信制なので毎日通うわけではありませんが、スクーリングで登校する機会があるのでそれを楽しみにしていたのかもしれませんね。
久保建英の学歴
- 2007年 川崎市立西生田小学校入学
- 2011年 小学4年生のときスペインバルセロナの私立小学校に転校
- 2014年 スペインバルセロナの私立中学に入学
- 2015年 中学2年生で日本に帰国し川崎市立西生田中学校に転校
- 2017年 私立和光高等学校に入学
- 2017年 通信制の第一学院高等学校に転校
- 2020年 第一学院高等学校卒業
英才教育で育った久保建英
久保建英さんは、4人家族です。
久保建英さんは2歳からボールを蹴り始め、3歳には父がコーチをしていた坂浜サッカークラブに入りサッカーを始めました。

母は、長男の久保建英さんをのびのび育てるために「次男のように育てたい」と考えていたそうです。
何事にも積極的に取り組む活発な子になってほしいと願い、家にはあまりおもちゃなどがなく、なるべく外で遊ぶようにいいきかせました。
また、父の建史さんは忙しい仕事の合間をぬってほぼ毎日、1年で350日久保建英さんとサッカーボールを蹴り合っています。
建史さんは叱って育てるのではなく、楽しくサッカーがプレイできるようにほめながら教えたそうです。
最後の一対一では必ず息子の久保建英さんを勝たせて自信をつけさせました。

そんな、両親の愛に包まれて育った久保建英さんは小学校1年生の時に、当時スペインのFCバルセロナに所属していたロナウジーニョの観客を魅了する独創的なプレーを見て「バルサに入りたい」と夢を抱くようになりました。
そこで両親は久保建英さんの夢をかなえてあげたいと情報を調べ尽くしたのです。
そして見つけた久保建英さんがFCバルセロナでプレーする方法は、
- 日本で開催されるバルサアカデミーキャンプでMVPを獲得しスペインで開かれるバルサスクールの参加権をとる
- 現地バルセロナで開かれるスクールで選抜されたチームの一員としてヨーロッパで行われる大会で活躍
- バルサの下部組織の練習(実質的な入団テスト)に参加し入団を認めてもらう
というとても難易度が高い方法です。
しかし、小学2年生のとき久保建英さんはバルサアカデミーキャンプに参加し、みごとMVPを獲得。
MVPの特典であるバルサスクールでは選手としてヨーロッパ大会に出場し、ここでもMVPを獲得しました。
2011年小学4年生のときにFCバルセロナの下部組織の練習に参加し評価され、日本人で初めてFCバルセロナと契約したのです。
その経緯を父の建史さんは著書「おれバルサに入る!夢を追いかけるサッカー・キッズの育て方」(文藝春秋刊)で熱く語っています。

久保建英さんは10歳でスペインのバルセロナに母と弟と3人で移住しFCバルセロナの下部組織でプレーを始めました。
息子を真剣に応援する両親の行動が、久保建英さんの夢をかなえる要因になったのですね。
久保建英をおそったFIFAの規則違反
夢だったFCバルセロナの下部組織に入団した久保建英さんは2013-14シーズンの地中海カップU -12トーナメントで得点王、さらにMVPに輝きました。
久保建英さんはとても順応力が高くスペインの学校でもすぐにうちとけて友達がたくさんできました。
その結果、スペイン語もペラペラ!
さらにサッカーでも久保建英さんは、持ち前のテクニックと判断能力で活躍を続けたのです。
そんな中2014-15シーズン、所属クラブのFCバルセロナはFIFAから18歳未満の外国人選手獲得登録違反により制裁措置を受けます。
そのため久保建英さんは公式戦出場停止処分を受けてしまいました。
FIFAは基本的に18歳以下の外国人選手の国際移籍を認めていません。
例外的に認めているのは次のような場合のみです。
この例外に該当しない久保建英さんはFIFAのルールに違反していました。
このままでは18歳になる2019年6月までの約5年間公式戦に出場できません。
久保建英さんは制裁措置が解除されることを期待してしばらくスペインに残りましたがFIFAの制裁解除はなく、
2015年3月に日本に帰国することを決断しました。
帰国した久保建英さんは中学2年生から地元、川崎市にある西生田中学校に転校します。

日本では久保建英さんの獲得に多くのクラブが動きましたが、FC東京の下部組織FC東京U -15むさしに入団することを決めました。
帰国した久保建英さんは日本でも目覚ましい活躍を見せ、2016年中学3年生でありながらFC東京U-18に昇格。
その年の日本クラブユース選手権で得点王に輝いたのです。
そして、高校1年生の2017年11月にFC東京とプロ契約を結びました。

ルール違反でFCバルセロナを退団することになってしまった久保建英さんですが、日本に帰ってきてからも大活躍でファンを魅了しています。
久保建英のプロフィール
- 2016-18年 FC東京U -23
- 2017-19年 FC東京
- 2018年 横浜Fマリノス(レンタル移籍)
- 2019-22年 レアル・マドリード
- 2019-20年 マジョルカ(レンタル移籍)
- 2020-21年 ビジャレアル(レンタル移籍)
- 2020-21年 ヘタフェ(レンタル移籍)
- 2021-22年 マジョルカ(レンタル移籍)
- 2022年- レアル・ソシエダ
- 【久保建英の日本代表歴】
- 2015-17年 日本U -17代表
- 2016-18年 日本U -20代表
- 2019年〜 日本U -23代表
- 2019年〜 日本代表
中3でJリーグ史上最年少出場
久保建英さんは中学3年生のとき、ユースチーム在籍中にトップチームの試合に出ることが許される2種登録選手になりました。
その年の2016年11月5日にJ3のFC東京U -23とAC長野バルセイロの試合に途中出場しJリーグ最年少出場記録を更新したのです。
残念ながらこの試合でチームは負けてしまいましたがプレイは中学生とは思えないキレをみせ、サッカー解説者や
報道陣からは称賛の声が上がりました。
2017年にはFC東京と正式にプロ契約を結び、その年のルヴァンカップでトップチーム初出場。
さらにリーグ戦でサンフレッチェ広島戦に途中出場し、16歳5カ月の史上3位の年少記録でJ1リーグデビューを果たしました。
オリンピックで号泣した久保建英
久保建英さんは、各世代の日本代表にも選ばれています。
2016年にはU -16日本代表に選ばれてAFC U -16選手権に出場。
大会で4得点をあげFIFA U17-W杯の出場権を獲得しました。
さらに11月にはU -19日本代表に15歳5ヶ月20日の史上最年少で選出され中学生で出場を遂げたのです。
久保建英さんは2021年の東京オリンピックでも代表メンバーに選ばれ、南アフリカ戦で決勝ゴールを上げるなど3試合連続ゴールの活躍を見せました。
しかし、準決勝でスペインに敗れ、迎えた3位決定戦でもメキシコに1-3で敗れ日本の53年ぶりのメダルを逃してしまいます。

この敗戦で久保建英さんは試合後ピッチに崩れ落ち号泣しました。
久保建英さんは「いままでサッカーをやってきてこんなに悔しいことはない」
とかたり「メキシコはグループリーグで勝っていた相手なので気の緩みがあったかもしれない」と反省の言葉を述べています。
この悔しさはきっと久保建英さんのさらなる飛躍につながるはずです。
18歳念願のスペインリーグに復帰
2019年6月に18歳を迎えた久保建英さんは、念願のスペインリーグに復帰します。
誰もがFCバルセロナへの復帰を予想していたのですが、久保建英さんはスペインの強豪レアル・マドリードと契約しました。

レアル・マドリードはFCバルセロナの宿敵のクラブ。
レアル・マドリードはFCバルセロナを大きく上回る4倍の年俸100万ユーロ(日本円で約1億4,500万円)を提示し、久保建英さんを高く評価したのです。
レアル・マドリードに入団しスペインに戻った久保建英さんは、レアル・マドリードからレンタル移籍で数々のチームを渡り歩き経験を積んでいます。
そして、2022年スペインリーグ、ラ・リーガのレアルソシエダに完全移籍。
新たなステージに進みました。

レアルソシエダは2021-22年ラ・リーガで6位のチーム。
戦術もパスをつないでボールの支配率を高める攻撃的なサッカーを行います。
久保建英さんのレアルソシエダでのプレーは、「攻撃の主軸として積極的に得点にからみ、守備でもするどいプレスで相手の攻撃をおびやかす存在」と評価されました。
さらに、レアル・ソシエダにはダビド・シルバという中心選手がいますが、年齢は36歳で今後のレアル・ソシエダを考えると
久保建英さんにダビド・シルバにかわる存在になってほしいとチームから期待されているのです。
まだ21歳と若い久保建英さんのスペインでの活躍が今後も期待されます。
まとめ|久保建英は和光高校出身!中学までスペインにいた学歴がすごすぎる
- サッカーと学業を両立させるため全日制高校から通信制高校に転校した
- 女子の制服姿が好きでそれが転校の理由だったかもしれない
- スペインの小学校を卒業し中学1年までスペインの学校で学んだためスペイン語がペラペラ
- 中学3年でJリーグデビューし現在もスペインのラ・リーガで活躍している
この記事では、天才サッカー少年久保建英さんの高校時代を中心にまとめました。
W杯カタール大会では久保建英さんのたくみな足技で得点を奪い、日本を予選突破、決勝トーナメント勝利に導いてほしいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。