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【宮崎勤一族の末路まとめ】家族の2023年現在が悲惨すぎる件

【宮崎勤一族の末路まとめ】家族の2023年現在が悲惨すぎる件




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宮崎勤事件は、日本で起きた事件の中でも最悪レベルの連続幼女誘拐殺人事件で、犯人の宮崎勤によって少女4人が誘拐、◯害された事件です。

そんな悲惨な事件を起こした宮崎勤元死刑囚の家族や親戚の一族はどんな末路だったのか?

また、宮崎勤には姉妹もいますが、現在なにをしているのか気になりますよね。

そこで今回の記事では、

  • 宮崎勤一族の末路
  • 宮崎勤の家族の現在(2023年)

について徹底解説していきます。





宮崎勤一族の末路まとめ

宮崎勤

宮崎勤の家族は裕福な家庭で、父親、母親、妹が2人いました。

宮崎勤の事件発覚後、家族や親戚には、罵倒や誹謗中傷だけでなく「◯してやる」との脅迫の電話や手紙がたくさん届いたといいます。

宮崎勤が逮捕されてから家族はその場所に住めなくなり、引っ越しました。

これにより、宮崎勤の家族は精神的にも社会的にも追い詰められた結果…

  • 父親:飛び降り自◯
  • 母親:隠居
  • 長女:会社を辞めて婚約破棄
  • 次女:看護学校を自主退学

家族は仕事や学校も辞めて、警察官や教師をしていた親戚まで退職する事態になってしまいました。

ひとりずつ見ていきましょう。

宮崎勤一族の末路:父親

宮崎勤の父親は、最悪の事件を起こした息子・宮崎勤に対して激怒します。

普通、裁判では私選弁護士をつけますが宮崎勤の父親はこれを拒否。

息子といえども、情けはかけなかったんだな

先祖代々受け継いできた土地と家など資産すべてを売り払い、被害者遺族に賠償しました。

その後、東京都青梅市の多摩川にかかる高さ30メートルの神代橋から飛び降り自◯しました。

神代橋

宮崎勤一族の末路:母親

宮崎勤の母親は、事件を起こしてから宮崎勤を徹底的に拒絶していました。

死刑が決まったあとも、宮崎勤をかばうこともなく連絡すら取りたがりませんでした。

宮崎勤の死刑が執行された遺体の引き取りも拒否して、このように言います。

「この子の遺体は適当に処理してください」

宮崎勤の処置は拘置所に任せられ、そのまま火葬されて終わったそうです。

もちろん母親は事件に一切関与していなかったので、まさか我が子が他所様の大切な子を何人も◯していたなんて思ってもみなかったでしょうね。

父親も母親も宮崎勤のしでかしたことは相当ショックだったみたい

また、宮崎勤の母親は、引っ越す前の自宅近くの寺にお墓参りに来ていたところを近隣の住民に目撃されています。

しかし、現在暮らしている場所は聞いても答えなかったといいます。

世間からの猛烈バッシングに心を痛めて、静かに暮らしていたのでしょう。

宮崎勤一族の末路:妹2人

宮崎勤の妹たちも、周囲から嫌がらせがあり社会的に追い詰められます。

長女である宮崎勤の妹は、会社を辞めて結婚間近だった婚約を破棄します。

当時は女性にとってより大きな価値であった結婚を自分から辞退したということは、宮崎勤の父親といい、宮崎勤の家族は責任感があり真面目な性格の家族だったことがわかります。

次女の宮崎勤の妹も、通っていた看護の専門学校にはいられなくなり自主退学しました。

宮崎勤一族の末路:親戚

宮崎勤の親戚も、「仕事を辞める」「名字を変える」までして追い込まれてしまいました。

宮崎勤の父親は7人兄弟の長男で、うち次男と三男は立派な地位を築いていました。

  • 父親の弟(次男):5つの会社の役員をしていたが、役職から退いて自分が経営する会社も妻名義にして退職
  • 父親の弟(三男)勤務していた会社を退職。子供たちには妻の旧姓を名乗らせている

宮崎勤の母親の兄も、子供が「警察官」「高校の教師」という堅い職業でしたが辞職しています。

事件とは関係がない親族がここまで追い詰められたのは、そこまで宮崎勤が起こした事件に世間が怒りと悲しみを持っていたのでしょう。

このように、宮崎勤の一族は悲惨な末路をたどりました。

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宮崎勤の家族の現在は?【2023年最新】

宮崎勤の家族の行方は、現在わかっておりません。

現在の年齢を考えると、宮崎勤の母親は他界している可能性もありますね。

宮崎勤の妹2人は現在、50代後半くらいだと推定されます。

長女は婚約破棄したというので、今も独身を貫いているかもしれません。

宮崎勤一族が住んでいた自宅跡の現在

宮崎勤一家が住んでいた家は、事件後は解体されて更地になりました。

なかなか買い手がつかなかったので、現在は駐車場となっています。

一時期は工事の資材置き場にされてたみたい

夏には、地域の人たちの盆踊り会場で使われているそう。

宮崎勤一族は地元の名士だったので、とても広い敷地ですね。

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宮崎勤事件の概要

1988年から1年間に起きた連続幼女誘拐殺人事件。
少女4人を誘拐・殺害してバラバラにしただけでなく、遺体への暴行や遺骨を遺族へ送りつけるなどして、日本中が恐怖した事件。
残忍性や異常性が高くシリアルキラーと呼ばれた。

宮崎勤は、4人の女児を狙って車に乗せて誘拐し性的暴行を加えた後に◯害し、その遺体を捨てるという犯行を繰り返しました。

さらに異常だったのが、1人目の犠牲者の少女の自宅に「(少女の名前)遺骨 焼 証明 鑑定」と書かれた紙片と骨片が入ったダンボールを届けます。

後日、宮崎勤は自分の犯行を誇示するような犯行声明を「今田勇子」の名前で朝日新聞東京本社に送りつけています。

「今田勇子」の名前を使った理由は、女性の犯行に見せかける工作の卑劣な手口のためでした。

宮崎勤が実際に送った「犯行声明」文

犯行声明
Aちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。
この、Aちゃん一件に関しては、最初から最後まで私一人がしたことです。
私が、ここに、こうして真実を述べるのには、理由があるからです。
まず、あの段ボールに入った骨は、明らかにAちゃんの骨です。
その証かしを立てます。
まず、どうやって連れ去ったかを述べましょう…
〈中略〉
あの骨は、本当にAちゃんなのですよ。

引用元:FNNプライムオンライン

その翌日に、同じ犯行声明文が再び少女の自宅に届けられています。

マスコミの報道は連日白熱していたといいます。

少女が何人も誘拐される連続殺人事件に当時の日本は恐怖しました。

宮崎勤は、自分が好きだったアニメや漫画、映画のキャラクターに憧れて犯行に至ったといわれています。

だから事件後はオタクカルチャーが迫害されるようになってしまったんだ…

宮崎勤が遺体の手を食べたのは本当?

宮崎勤が起こした第4の事件で、バラバラにした「少女の両手を焼いて食べた」と発言しています。

しかし、宮崎勤が遺体を食べたという話は、本当はウソだと言われています。

事件当時の宮崎勤本人による発言は、実はサイコパスを演じる虚言だったという可能性が高いといわれています。

実際、事件に関する裁判記録にも食人行為については記録されてないのです。

宮崎勤の異常性から「宮崎勤が手を食べた!」と噂が広まったと考えられます。

宮崎勤はカニバリズムって説も流れたらしい

宮崎勤の最後の言葉は?

1989年に宮崎勤が逮捕され、2008年6月17日に死刑が執行されました。

宮崎勤が死刑になる直前の最後の言葉は、

「あのビデオ、まだ途中なのに…」

という言葉だったといいます。

刑務所の独房ではビデオを見ることが許されていて、宮崎勤はジブリ作品をよく観ていたそうです。

宮崎勤は、被害者や遺族には一切償いの言葉をかけずに、そのまま死を遂げていきました。

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まとめ|【宮崎勤一族の末路まとめ】家族の2023年現在が悲惨すぎる件

今回は、宮崎勤事件の一族の末路をまとめました。

事件に関係のない親戚も過剰に叩かれて、事件の悲惨さを感じます。

今後は模倣犯が現れないことを心から願います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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