大川隆法さんと前の嫁・大川きょう子さんが離婚した理由が気になりますよね。
実は、今の嫁の大川紫央さんと泥沼三角関係にあったという噂があります!
愛人もたくさんいて、さまざまなバトルが裏ではあったとか。
今回の記事では、
について徹底解説していきます。

大川きょう子と大川隆法の離婚理由
大川きょう子さんと大川隆法さんの離婚理由は、
というのが大きな原因だと思われます。
結婚したときから時系列で関係を見ていきましょう。
1988年:大川隆法と大川きょう子が結婚

大川きょう子さん(当時23歳)と大川隆法(当時32歳)さんは、1988年東京大学を卒業後に結婚しました。
おなじ東大出身だから話が合ったんだろうねぇ
5人の子供にめぐまれ、幸福の科学では文殊菩薩の生まれ変わりとされていました。
子供についてはこちらの記事で1人ずつ解説しています。

5人目の子供が生まれたのが1997年なので、少なくとも結婚してから約10年間は夫婦関係は良かったのだと推測されますね。
2007年6月:大川隆法と大川きょう子の関係に壁ができ始める
大川隆法さんは2007年6月頃から、当時の女性秘書を特別可愛がるようになりました。
当然、嫁の大川きょう子さんはイヤな気持ちになり、
その女性をそばに置くのはやめて欲しい
この人がいないと仕事ができない。仕事をするのに必要なんだ
大川隆法さんは聞く耳持たずに言い張り、さらには
彼女は前世の妻だ!
とまで言い出したのです。
10月頃、大川きょう子さんは大川隆法さんにこんな言葉をかけられました。
“お前は学生時代に学んだキリスト数的な一夫一婦制という間違った思想を侍っている。エル・ーカンターレ系の基本は一夫多妻制だ”
つまり、一夫多妻制を主張し始めたんですね。
大川きょう子さんは、なぜこんなに酷いことを言われなきゃいけないんだとショックを受けます。
教団本部で、幹部に泣きながら相談をしたこともあったそうです。

当時、大川隆法の「霊言集」にも一夫多妻制をほのめかした記述がありました。
一夫一婦制は、神の教えとは違う。人間界の掟や契約の問題であり、基本的には、嫉妬心からできている”戒律”である」と私は理解しております
引用元:世界紛争の真実(著者:大川隆法)
「一夫婦制は人間の嫉妬心からできているものだから間違っている」という主張です。
税金を一千万以上払ったら、結婚は自由です。なんぼでも、どうぞ。イスラム教の人数を超えてもかまへん」というのが、わしの考えやな
引用元:松下幸之助日本を叱る(著者:大川隆法)
「お金をたくさん払いさえすれば、何人の嫁を迎えようが自由」と考えていたようですね。
- 大川隆法には白金の豪邸に6〜7人の愛人がいる(総勢20人ほど)
- 愛人No1を狙って大川隆法さんとの妊娠を望んでいた
- 中には幹部職員とも浮気をする愛人も
幸福の科学の幹部たちも、総裁の言うことは絶対なので一夫多妻制を受け入れて平然としていたそうです。
大川きょう子さんもいったん冷静にはなりましたが、大川隆法さんから遠ざけられるようになります。
2008年4月:大川隆法と大川きょう子が別居状態になる

大川きょう子さんは、住んでいた教団施設から追い出されてしまいました。
当時は、昔大川隆法さんが建てた自宅に1人で住んでいたといいます。
子供たちとも2、3回会ったくらいで、ほぼ会えない状態になってしまいます。
子供たちは、大川きょう子さんが悪魔だと刷り込まれていたといいます。
大川きょう子さんはでショックで自◯衝動が出てしまうようになりメンタルクリニックに通っていました。
「こんなに激しい衝動が出るのは本当に悪魔が入っているのかも…」
とまで思い詰めるほどになってしまったそうです。
4ヶ月後には総裁補佐などすべての役職を剥奪され、夫婦関係はいよいよ疎遠になってしまいした。
ここで、大川紫央さんが登場です。

当時は「千手観音」の生まれ変わりだと言われていたそうです。
大川姓まで名乗らせていることがトドメとなり、傷心した大川きょう子さんはイスラエルへ旅行に行きました。
2010年3月:大川隆法が大川きょう子に離婚届を出す

イスラエルから帰国した大川きょう子さんは、大川隆法さんから離婚届が出されたと知ります。
自宅に教団の幹部3人が来て「明日までに判を捺して返せ」といった強引なやり方でした。
人を人と思わないような…話し合いもしてないのにあり得ない
大川きょう子さんは「やっぱりこの人はおかしい」と思い始め、怖くなりました。
ここで初めて、教団がおかしいのかもしれないと気づいたそうです。
信者のお母さんに相談しても「我慢しなさい」と言われるだけ。
そして、大川きょう子さんは10月に大川隆法さんとの離婚を決意しました。

離婚後から現在までの大川きょう子さんについては、こちらの記事で詳しく解説しています。
大川きょう子と大川隆法と大川紫央の三角関係の真相

以上を見ると、大川きょう子さんは大川紫央さんと直接三角関係にあったわけではないとわかりました。
数多くの愛人がいる現代版大奥のような背景がありましたね。
正確には、
ということになるでしょう。
みなさんにもいろいろ言われましたが、常識的に考えても、45歳の女性が26歳の女性と争って勝つということないだろうなという冷静な判断に至りまして、離婚を決意いたしました
と話しており、当時のfacebookにも心境をつづっていました。
2年前に離婚を申し出たときには、こんな気持ちになれるとは思いませんでした。あの頃は、夫と女性たちと、それを守る人々に対する憎しみと、そして、仕事として失敗してしまって、大勢の人に迷惑をかけたという、自分を責める気持ちで、さいなまれる夜があった。憎悪と贖罪。どうしても、その気持ちから離れなれなかった。
でも、今、思い出すのは、彼といっしょに健気に頑張った若い頃の私の姿。人のできないいろんな体験をしました。苦しかったことも、今はもう、夢のよう。秘書に言われたことがある。「きょうこ先生は幸せは人の100倍。不幸も人の100倍。」平凡ではなかった。でも、やっぱり、人の100倍幸せだったかもしれない。なによりうれしいのは、私が今、憎しみから解放されたこと。
私たちが想像できないような、壮絶な日々を送ってきたことがわかりますね。
大川きょう子さんは、辛いことも幸せなことも、普通の人では味わえない体験をしてきたのだと思います。
まとめ|大川きょう子の離婚理由が壮絶!大川紫央と泥沼三角形だったのは本当?
今回は、大川きょう子さんの離婚理由や現在についてまとめました。
泥沼も行くところまでいった、三角関係どころではありませんでしたね。
離婚理由が何であれ、大川きょう子さんは大川隆法さんと過ごした時間を今でも大切にされています。
第三者が関係について口を出すことではないので、見守りたいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。