野球の歴史に残る異例の完全試合を成し遂げたことも記憶に新しく、注目を浴び続けている投手こと佐々木朗希(20)さん。
そんな佐々木朗希さんを育てたお父さんは、いったい何の仕事をしているのでしょうか?
しかし、どうやら現在母子家庭ということ。
そこで今回は、
- 佐々木朗希のお父さんの仕事は何?
- 佐々木朗希の母子家庭の理由は?
- 佐々木朗希の生い立ち
上記を徹底解説していきます!


佐々木朗希のお父さんの仕事は何?

佐々木朗希さんのお父さんは、佐々木功太さんといい、
少年野球のコーチをしており、仕事は葬儀屋でした。
実は、佐々木朗希さんのお父さんは11年前にお亡くなりになっています。
え!そんな…今の朗希くんをご存じないってこと?
つまり、佐々木朗希さんはお父さんがいない母子家庭で育ったというんです。
佐々木朗希の母子家庭の理由が衝撃!

佐々木朗希さんの両親は、離婚ではなく、まさかの「死別」という衝撃的な事実。
お父さんは津波で…って噂はほんとかな?
佐々木朗希の父親の死因
佐々木朗希さんの父親の死因は、
当時、佐々木朗希さん一家が住んでいたのは岩手県陸前高田市でした。
3.11で被災され、37歳で亡くなったといいます。あまりに若い死ですね…。
朗希くんが9歳のとき出来事だった
そして、佐々木朗希さんのお父さんが亡くなったことに、朗希さんの家族だけでなく地域の人々にも衝撃が走ったといいます。
佐々木朗希の父親は愛される人柄だった

葬儀屋という仕事柄、陸前高田市長とも付き合いが長く、
若くリーダーシップがある人で、気さくで行動力がある。先輩も後輩もみんなが付いていっている。
と、陸前高田では元気な3児の優しい父として知られていたといいます。
葬儀屋という人の節目に寄り添う仕事をする、人情あふれる働き者として評判でした。
そんな父親の姿を、「周りの人みんなと仲よくて愛されていた」と息子の佐々木朗希さんが話しています。
そんなお父さんの温かい人柄とカリスマ性を、朗希くんは受け継いでいるなぁ
父親が亡くなってから佐々木朗希の生い立ち

朗希くんも被災したってことは、壮絶な人生だったんだろうに…
東日本大震災が起こった2011年3月11日午後2時46分。
当時小学3年生で9歳だった佐々木朗希さんは、陸前高田市の小学校にいました。
当時の様子をまとめると、
- 津波から高台に逃れて、兄弟3人だけで避難所で一夜を過ごす
- 翌朝にお母さんと再会
- しかし、父と祖父母は津波で亡くなる
- 自宅も流される
しばらくは老人ホームで避難所生活を送ったといいます。
言葉にできないくらい、壮絶な出来事です…。
多くの家族と家を失うなんて、幼い子供にとってあまりにもひどい経験ですよね。
学生時代は、毎日遺影の前で手を合わせていた朗希くん
被災後、佐々木朗希少年は…

小4になると、お母さんの陽子(46)さんの親戚がいる大船渡市に引っ越しました。
小学校のグラウンドには仮設住宅が並んでいて、
「このまま野球を続けていいのか」
と悩んでいたところ、少年野球クラブのメンバーが「いっしょにやろう!」と温かく迎えてくれたといいます。
ここで野球を諦めないでくれてホントによかった…!
佐々木朗希さん当時ネガティブで、悲しい気持ちはあったけど、野球が気持ちを紛らわせてくれたと話しています。
私たちが想像する以上に、佐々木朗希さんにとって野球の存在は大きいんですね。
佐々木朗希の父親代わりだったのは”兄”

お父さんがいなくなってから、お兄さんの佐々木琉希(23)さんが佐々木家の父親代わりだったといいます。
お兄さんのこと大好きなんだって表情から伝わるね!
お父さんから教えてもらっていた野球を、代わりにお兄さんから指導してもらうようになりました!
野球の指導はとても厳しく、裏には「俺が父親代わりになるんだ」という兄の気迫を感じます。
野球を始めた小学校1年生の佐々木朗希さんの投球について、お兄さんがいうには、
球の回転がめちゃくちゃ悪かった。
肘も上がらなくて、コーチに指摘されても言うことをきかなかった
これを矯正しようと、奮闘したといいます。
厳しすぎて、ケンカをすることもあったとか(笑)
お兄さんが、心を鬼にして教えていた様子がわかるね!

佐々木朗希さんに「もう技術的に教えることは無い」といったお兄さん。
たしかにプロ野球選手として球団に属していますが、
お母さんと一緒にロッテのキャンプに顔を出すなど、今でも佐々木朗希さんのメンタルをサポートしているように思えます。
まとめ|佐々木朗希の父|津波で他界前は葬儀屋!兄が父代わりのエピソードに涙
- 佐々木朗希の父の仕事は葬儀屋
- 佐々木朗希の父は東日本大震災で亡くなっていた
- 母子家庭で兄に野球を指導してもらいながら成長した
今回は、佐々木朗希さんのお父さんの仕事、生い立ちについてまとめました。
実は、壮絶な人生を歩んでいたんですね…!
生半可な気持ちで野球と向き合ってないと、胸が熱くなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

