2022年に甲子園大会の主役となった山田陽翔さん。
そんな山田陽翔さんのお兄さんは、大阪桐蔭で活躍した名選手だったのです!
兄弟揃って実力者の山田兄弟、山田陽翔さんの甲子園での活躍にも、お兄さんの影響があったとか。
そこで今回の記事は、
以上を徹底解説していきます。
山田陽翔の兄は山田優太!

山田陽翔さんのお兄さんは山田優太さんという方です。
3つ年上で、現在は21歳です。
プロフィールはこのようになっています。
生年月日 | 2001年 |
年齢 | 20歳 |
出身地 | 滋賀県 |
身長 | 176㎝ |
体重 | 81㎏ |
投打 | 右投げ左打ち |
ポジション | ピッチャー・サード |
経歴 | 治田西小学校→粟東西中学校→大阪桐蔭高校→日本体育大学 |
山田翔陽の兄の中学時代
中学時代はボーイズリーグの大津瀬田レイカーズに所属していました。
中学時代から才能を発揮し、中学3年生の頃には142キロをマークしています!
中学生で140キロを超えるボールを投げるのはすごいですよね!
その結果、鶴岡一人記念大会の関西選抜に選ばれ、投手兼野手として活躍しています。
弟の山田陽翔さんと同じく、中学時代から名前を轟かせていたんですね!
山田翔陽の兄の高校時代

その後、大阪桐蔭高校に進学すると決めた山田翔陽さんのお兄さん。
時が経ち、成長の実感とともに自らの現在地を明確にしたくなった。3年生になると、中学生ながらストレートは最速142キロを記録し、バッターとしても打線の軸を担う「二刀流」として注目を浴びるようになった。山田は純粋に、「大阪桐蔭で自分の力を試したい」と名門野球部の門を叩くことを切望した。
引用元:Number Web
中学時代の「二刀流」という実績をもってしても、大阪桐蔭高校に入学を決めるのは相当な覚悟が必要だったと思います。
それだけ野球人として成長したい!自分を試したい!という思いが強かったんでしょうね。
入学後、山田翔陽さんのお兄さんは1年秋からベンチ入りを掴み取りました。
しかし、2年春と2年夏はベンチ外。
名門校の競争の厳しさは相当なモンだな…。
そんな中、大阪桐蔭高校は2018年の選抜大会と夏の甲子園大会で優勝し、春夏連覇を達成しました。
2年秋の新チームからベンチ入りを果たしましたが、秋の近畿大会は準々決勝敗退。
3年夏の大阪府大会でも、準々決勝で金光大阪に敗れ、甲子園出場の夢は叶いませんでした。
大阪桐蔭という高校にいると、勝利は絶対。
甲子園出場を果たせなかったとなると、厳しい世間の評価も多かったそうです。
そんな評価の中でも山田翔陽さんのお兄さんは、
「それは普通のことなのかな、と。大阪桐蔭で野球をする以上は、そういうことが条件としてあるのかなって。だから僕らも、真剣に『日本一のチームになろう』と常日頃から話して、練習から手を抜かずに野球に打ち込めたんだと思っています」
ここまでの覚悟を持って野球に取り組むことは、なかなかできることじゃないと思います。
毎日ひたむきに練習されたことがわかるコメントでした!
山田翔陽の兄の現在
大阪桐蔭では投手として伸び悩み、野手に専念していた山田翔陽さんのお兄さんですが、
大阪桐蔭卒業後に進学した日本体育大学では、本格的に投手として練習しています。
日本体育大学のコーチは、元中日ドラゴンズの辻孟彦さん。近年では日本体育大学を投手王国に導いています。
その指導の効果もあり、高校時代では138キロに留まっていた球速が、中学時代の数字に並ぶ142キロまで伸びてきています。
また、弟の山田陽翔さんの影響も大きいと言われています。
「弟に刺激を受けて。『練習を頑張ろう』って、今まで以上に意識を高めてやっていたら、140を超えて142って数字が出ました」
兄弟の絆がここでも現れているんですね!
野球の技術だけでなく、人間としての力も大事にしている山田翔陽さんのお兄さん。
野球だけではなく、人間力・私生活を大切にしていきます。自分らしくアグレッシブに何事も挑戦していきます。
実直な姿勢が伝わります。
決して野球がうまかったらいい、というわけではなく、人としての成長も意識されているのがわかります。
山田陽翔はなぜ兄とは違う近江高校へ?

山田陽翔さんのもとには多くの強豪校から誘いがきており、大阪桐蔭からも誘いがありました。
ですが、
「地元滋賀県代表で甲子園に出場して日本一になりたい」
という思いが強く、県内の近江高校に進学します。
また、大津瀬田レイカーズで共にプレーし、近江高校では副将として山田陽翔さんを支える津田基(もとき)(17)さんの声もあったそうで、
「世間的に自分が山田を追って(近江に)行ったって言われているんですけれど、実は誘ったのは自分なんですよ(笑)。山田が県外の学校に行く意志が固まりかけていた時があったんですけれど、2人で軽くキャッチボールをしている時に“近江に来いやー”って軽いノリで言ったことはありました。
ただ、あの時は本気で近江に来てくれるとは思っていなくて、それ(津田の言葉)がどう影響したのかは分からないですけど……。ただ、“2人で甲子園に行こうや”とはよく言っていましたね」
共にプレーした仲間からの言葉は、山田陽翔さんにとって大きかったことでしょうね。
近江高校でも頼りになる存在だったと思います。
山田陽翔と兄の仲は?

小中学時代は、ずっとキャッチボールするほど仲が良かったそうです!
しかし、山田優太さんが大阪桐蔭高校に入学するとコミュニケーションは激減してしまいました。
寮では携帯電話も持てない環境だったので、仕方ないところはありますよね。
その後、スマートフォンを所有するようになり、コミュニケーションを取る機会が増えていきました。
そんな時、山田陽翔さんが、
「キャプテンとしてチームをまとめられない。」
という悩みを山田優太さんに打ち明けます。
「『まとめよう』って考えるんじゃなくて、プレーだったり、野球の取り組みとか、背中で引っ張っていったらいいんじゃないかな」
大阪桐蔭という名門でプレーしていたため、周りの理解を得るためには結果を残すしかない、背中で示すしかない、と知っていた山田優太さん。
弟・山田陽翔さんの性格を理解し、弟が迷わないよう意思を尊重して接してあげようという気持ちがわかります。
距離は離れても、昔と変わらず強い絆で結ばれているんですね!
山田陽翔と兄のエピソード

山田翔陽さんとお兄さんが仲が良いことがわかりました。
そんな兄弟のエピソードも、胸が熱くなるようなものばかりなんです!
山田陽翔の野球を始めたきっかけ
山田陽翔さんが野球を始めたきっかけは、お父さんと兄・山田優太さんのキャッチボール姿をよく見ていたからだそうです!
小さいころ、父と兄のキャッチボール姿をよく見ていました。父からサッカーを勧められていましたが、野球をしていた父や兄の影響は大きく、「どうしても野球がやりたい」という思いが強く、小学1年生から野球を始めました。
父と兄が野球をしていたら、サッカーを勧められても野球に目を向ける気がします!(笑)
お父さんがサッカーを勧めた理由も気になりますね!
中学時代は兄を超えたい一心で練習する
中学進学後に大津瀬田レイカーズを選んだのは、兄・山田優太さんを超えたいと思い、同じチームを選びました。
山田陽翔さんの目の前には、常に目標となる背中があったんですね。
山田優太さんにとっても、大好きな兄弟でありながら、ライバルとして切磋琢磨したことでしょう。
まとめ|【激熱兄弟】山田陽翔の兄は大阪桐蔭の名選手!高校が違う理由は?
- 山田陽翔さんの兄である山田優太さんは、中学時代に二刀流で活躍し、大阪桐蔭で名門校の重圧と戦った
- 山田陽翔さんは仲間と共に地元から日本一になるという目標を叶えるため、大阪桐蔭などの名門校の誘いを断り近江高校へ入学した
- 野球を始めたのも、野球に真剣に取り組んだのも兄の背中を目標にしていたから
今回は山田陽翔さんの兄である、山田優太さんの経歴や兄弟の関係性についてまとめました。
常に山田陽翔さんの目標になり続け、時には家族として優しく包んでくれる、そんな山田優太さんの人間性の素晴らしさを感じました。
今後、2人揃ってプロの世界で活躍していることを期待しましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!